お疲れ様です^^
あなたは10年前の今日^^
何をしていましたか?
【津波てんでんこ】
今日のお話は10年前の大地震^^
これで何を学びましたか?
今もなお何を実行していますか?
というお話^^
過去の地震・津波の際に
家族や知人を助けにいったことで避難が遅れ
多くの死傷者が生まれた事実があるからです。
つまり、大地震が起きたら取るものもとらず
各自てんでんばらばらに高台に逃げることで、
結果として全員が助かるというという意味が
「津波てんでんこ」「命てんでんこ」には含まれています。
そして、もし自分が高台に逃げたことで、
結果として他人を助けられなかったとしても、
それを非難してはならないという不文律も、この言葉には含まれています。
この言葉をニュースで知ったのも10年前^^
10年前の今日
私は埼玉で仕事。
その帰り道^^車で移動しておりました。
埼玉の少しへき地だったので
当然のごとく高速に乗ろうかなと思ってた所、何故か
途中、白山駅で夜の飲み会が予定されていたことで
そこまで時間があったため
んんんん〜〜〜中半端な時間だから下道でゆっくり白山へ行くか^^と
下道を選んだのです。
埼玉の混んでない道をすいすいのんびりと運転していた時のこと
ンンンんん?
最初は自分の車が揺れていると思うものなのですね。
え?この車爆発するの?調子悪い?とヤバくない?と恐怖に^^
ふと前の車を見ると
前の車も間違いなく同じように揺れている
え?これって?と同時に上を見ると
もう信じられないほど電柱と電線がゆらゆらと
ええええええ?見たこともないほど揺れているのを見て
やっとここで地震だ!と気付けるのです。
ありがたい事に
埼玉の都会ではない道
高い建物もないし何か倒れてくる?感のない道
車を止められる所まで少しだったのか
どれくらいだったのかは全く覚えてませんが走り
大きなお店の広い空いている駐車場へ車を止め
店の人達も外に出てきてたので
同じく寒くないようにし外に出て様子をうかがっておりました。
これ、、人生で感じたことのない大きさ、、、ということは理解
そのまま家へ電話を
子供たち当時、9歳と12歳 留守番している。
母が一緒にはいてくれてるけど大丈夫なのか?と
電話をかけますが
当然、全く通じません^^
え?通じなくなるんだ、、、ということも
この時に知りました。
しばらくして揺れがおさまり、それもどのくらい大きく揺れてたのかm
全く覚えておりません。。。本当におさまったのか?
これでまた走って良いのか?
そうはいっても予測できないまま突っ立てるわけにもいかず
道も周りもあまり危険性がないと判断し
また車に乗り走り出しました。
車のテレビをつけても
日本中がこの出来事を的確に把握できてません。
今、何が起きているかだけしか聞くことが出来ず
そのまままま走り続け
今日の夜の飲み会の約束はどうしよう?
できそうかな?など
まだその時はそんな呑気な判断でしかありませんでした。
テレビをつけながら走り続け
東京へ近づくにつれ
渋滞の気配から車が全く動かない
東京の街中が車と人で一切動かない状態に、、、、、
ここでやっと
飲み会のわけないな、、、と把握。。。。
やめましょう^^の連絡をし
そのまま家へ帰る事に
もうそこから大変
東京都全てが車で埋め尽くされ
永遠にどっから動き出すつもり?という
見たことのない街の景色に、、、、
渋滞なんていう言葉ではなくなってました。
車で東京都の面積全てが埋め尽くされてしまいました。
当然抜け道なんか何処にもまく
どっから走り出す日が来るのかもわからないほどに、、、
これってもしかりて何日もこの状態が続き
家に帰る日なんて来るのか?と思うほど
結果、都内を何十時間もかけ
やっと家に
長男くんが
この全くつながらない電話状況の中
根性で何度もかけたのか?
合計3回も4回も私に電話をしてきて
え?よくつながったね!
何回かけたの?すごいね^^ありがとうね^^
ママもかけたけど全く通じなかったのに
すごいね^^
大丈夫?大丈夫だよ^^と
さらに
そこから永遠に家に到着しない私を心配でたまらなくなるのか
変わらぬ根性で何度も電話をつなげてかけてくる^^
そんなこんなで家に到着したのでした^^
2人の子供は母もお出かけし2人で留守番お願いだよと
留守番してたようです。
ビデオを2人でケラケラと見ていたら
え??????えええええ????という揺れに
お兄ちゃんが
机の下に隠れるぞ!と弟くんに声をかけ
2人で机の下から窓の外の揺れをビックリで眺めていたようです。
母は
電車で帰ろうとしたホームで揺れを
母はもう判断力の鬼
揺れがおさまった瞬間からもうタクシーを捕まえ家に帰宅
その頃からほぼの人たちは右往左往
タクシー乗り場に永遠の列に
母はすんなりと2人の孫の家に帰って来ることができたようです。
長男くんの根性の電話のおかげで
私ははやくから全員の安全の確認が出来なので
何十時間の車の中も心配することなく耐えることができました。
そんな我家の10年前。
そこから時間が、日にちがたてばたつほど
途方も無いことが起きた事を日本中
世界中が知っていくことに^^
その時に知ったこの言葉
そして
子供たちに徹底的に伝え続けた言葉
【津波てんでんこ】
各自、誰の事も助けにいってもいけない!
心配になって様子を見にいってもいけない!
自分だけの命を考えて逃げること!
自分が一番に逃げるくらいのつもりで自分だけの事しか考えてはいけない!
それを全員が出来てはじめて全員の命が助かる!
絶対に全員を信じて絶対に全員逃げていると信じ切って自分が逃げること!
命を助けるとは
これが「出来るか」だ!
と
集合場所はここ!と避難場所を決め
話し続けてきました。
思い出すと
何だっけ?どこだっけ?と言い続けてきました。
その日から毎朝、子供を学校に見送る時
今日は帰ってくるか?何もなく終えることができるか?
日本中
そんな思いを1つプラスさせたのではないかと思います。
自分が先ず逃げるという決意と意思が全員を助ける事になる。
これは全員が信頼しあってないと出来ないことだそうです。
これは大事な家族だけでなく
全員の人が心がけることで多くの人が助かることになります。
こうして毎年しっかりニュースなので伝え続けていくこと
伝え続けてくれることは
本当に大事な財産です。
忘れないこと
実行し続けること
常に意識しつづけること
本当に大事な事です^^
震災に限らず世界中で起きてきた歴史全てを
忘れてはならず
記憶し伝え続け学び続ける
これが今を生きる私達の使命であり
未来に伝えていく
つなげていく大事な事である^^
今日も
また子供と話すきっかけをいただきました。
あなたは
家族と先ず何を話、決めていますか?
Oneちーむ