皆さんは人生最初の習い事を覚えていますか?

私は多分

*習字

*そろばん

この2セットだったと思います^^

昭和時代

時代的にほぼ全員?に近いほど習ってた2大!習い事

しかもほぼセット^^笑

私の近所の環境がそうだったのか?

そろばんと習字が同じ場所で行われていたからなのか?

私は歩いてそこに通うことが

学校以外の最初の習い事でした。

誰かとお友達になった覚えもなく

ただただ緊張し椅子に座り黙々淡々と

先生の方を見て

先生の言う通りに進めていく^^

もともとは今でもですが

全くもって社交的ではなく、一切合切

話さなくて許されるなら何一つ会話したくない!

くらいな勢いの子供でしたから^^笑

誰かと一生懸命に笑顔を作って仲良くなるみたいな

努力しないといけないなら

1人のほうがよっぽどいいわ!くらいな

そんな意味のない意思をはっきりもった子供でした^^

子供らしくは全くなかったです^^

ニコニコとか大人が喜ぶようなことしないととか

いい子でいないととか

一切なかったですかね^^笑

自分の意思を貫き通す!くらな

意味ないことはしないよ!くらいな意思ありすぎな

子供でした・・・笑

 

ようは今と全く変わってないのははっきりわかってます。

その頃から自分の意思としか会話してないような

大人子供でした。

 

ただ結局はそんな姿勢を貫く私に

子供たちは興味を示すのか、、、笑

頑張って作る友達ではなく

自然にとっても仲良くなる多くの友達ができている

そんな友達作りでした。

それは今も全くかわらないですね。。。

でもそこには絶大な信頼関係あっての友達^^

大切です^^

 

 

そんな私は

習い事も黙々淡々!誰も話しかけんなよ!くらいな

オーラと

その反面、ドキドキしながら

ここはどこ?くらいな感覚の年齢でした^^

 

習字とそろばん^^

 

2つとも無心になれる

なかなか大好きな習い事で

習字は何時もとても褒められてたので

さらに大好きに^^

習字紙に収まらないほど大きな字で

紙が小さいな、、、、

紙が足りないな、、、、

なんて思いながら

はみ出す寸前の大きな字で書いておりました。

 

一番最初に書いた時は多分

「そら」^^

今もたくさんの丸で褒められているその習字が

残されて我が家にあります^^笑

今この字が書けるかな、、、くらい

生き方や性格が思いっきり出ている立派な字です^^笑

 

地方新聞ですがそこにものったことが^^

そもそもが芸術肌^^

字ももちろん私にとっては芸術^^

もっと!もっと!もっと!ここをこうしたい!

もっと!こっちのほうがいい感じ!と

たった

「そら」をいう時でも無限に拘ってたような気がしますし

無限にもっともっとと求めて書いていたような気がします

よっしゃ!こっちのほうがもっといい!とね^^笑

そして

そろばん^^あれはいいですね^^

数字を図形で考える考え方が身につく^^

5を基準に計算できる5をワンセットで数字を

図形で計算できる思考は私はもともと元をただすと

そうだ、、、あの

そろばんが気本にあるのかな、、、と

あとは小さな時に母が言った一言

計算なんかまともいしたらダメ!

5か10を気本に!!!!!

3だったら5から2少ない

8だったら

5から3プラス

もしくは10から2足りないもの

という考え方。笑

 

私はこの図形方式で計算が暗算なんか何もならってないけど

ほぼ暗算でどんどん計算できていくのは

図形計算だからなのです^^

この2つって今の時代は皆無、、、

我が子も一切ふれることなく育ってしまったけど

なかなかとっても人間の生き方の中で活きる習い事だし

思考が育つ習い事だよな〜〜〜〜〜

なんて思ったりする今日この頃なのです^^

 

人生最初の習い事ってなんでしたか?

人生で習ったことがある習い事は?

 

私が習った習い事は

*習字

*そろばん

*水泳

*ピアノ

 

上記4つ^^

最後まで残ったのはたった1つ「水泳」

今振り返り何んでかな?と思うと

やっぱりやっぱり

「仲間」が最高だったから!の一言につきますね^^

 

多分

習字も

そろばんも

ピアノもなかなかセンスありありで

特にピアノは有名先生が期待しまくっちゃって

母もピアノやらせたい〜!と期待しちゃうほど

なかなかのものでした!が〜〜〜〜〜〜〜

大事な当の本人が

ま〜〜〜〜〜〜〜

やる気ないない、、、、

嫌でしにそう、、、、、笑

なぜか?

小さな子には過酷すぎる

いっさいがっさいの

たった1人で行わなければいけないスタイル

ピアノと先生と私。。。しかいないわけで、、、

どこに向かって頑張ってるかもわからない、、、

何のためにやってるかもわからない、、、

やってる人たちに憧れない、、、、

なりたいと思わない、、、、

クラッシック聞いてても楽しくも何ともない、、、

ありゃ子供にとって最も過酷で一切合切

テンションおあげようがない習い事、、

特に昔はそうだったのだと思います

真面目にバイエルンからスタートし、、、の、、、、

鬼母親でもいないかぎり

親に気合がないかぎり

あれは子供の意思でというのは奇跡に近いほど

難しいと思います^^

私がもっともテンション下がりまくってた

習い事でした^^

でも才能的にはかなりの◯!だったと思います^^が

あれだけ嫌いじゃ仕方ない、、、笑

 

そんな中

なぜ水泳だけは最後まで続いたの?

しにそうに苦しい世界なのに

しにそうに楽しんだあの水泳人生は?なぜ?

そう!

習い事の中で唯一

仲間に恵まれたから!!!!!!なのです!!!!!

 

水泳だけは一流の仲間に常に囲まれ

ライバルなのに最高に仲良く最高の仲間

仲間がライバルという関係性

そして何と言っても

苦楽を共にした仲間は本気の仲間

よく日体大の先生に

「楽で楽しかったことはきっと社会にでて1つも

思い出さないよ!

苦しく皆んなで頑張ったことや大変すぎた!ってことが

常に大笑いのネタになって永遠に語り続けられ

永遠の思いになっている^^

楽しく遊んだ仲間は永遠になりにくいが

苦楽を共にした仲間は間違いなく永遠だ!」と

常に言ってました。

ほんとだな、、、、と

 

唯一最後まで生き残った習い事

それは

水泳

なぜか?

仲間!がいたから^^

 

今の仕事も一緒

1人だったら絶対に無理!

でも

本気で一緒に頑張る仲間と

一緒に考え

一緒に乗り越え

一緒に進む^^

家族以上に一緒にいる時間も一緒に頭使ってる時間も

何もかも一緒^^

だからこそ

前に進めるし

1人の孤独さを感じないし

なんだか知らないけど

楽しさが何時も心を占めている^^

 

こんな仕事と仲間と人生に出会えていることの

奇跡に感謝ですね^^

人って結局

人に恵まれることが一番人生で大事なこと^^

皆さんも人生のほぼを占めている

仕事の時間と人生寿命

いい感じですか?

嫌で仕方ないと気持ちで支配されて寿命のほぼを

過ごすことだけは本当にもったいない生き方だなと

思います^^

 

どうしたいのか?

どう生きたいのか?

どんな自分になりたいのか?

 

もう一度

常にしっかり自分の欲求を確かめて^^

 

もうすぐ皆んなが大好きな待ちに待った

合宿!

研修!

これが熱い!

私も隙間時間でどんどん準備に入らないとですね^^

また素晴らしい仲間と人生のレベルアップに励みます^^

 

 

Oneちーむ

 

 

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