今日は24歳
まだまだ人生これから!という若さあふれるメンバーと
ミーティングを^^
本当に綺麗な心ですいすいと何でも吸収してしまい
あっという間に気持ちも上がっていく姿を見て
何とも羨ましいほど素晴らしい能力^^
自分もそんな時代あったはず!
ああやって何でもすいすいと何も邪魔するものなく
吸い込んで行ったら
そりゃ、、、
変なもんばっかりがひっかかり、
ろくなもんじゃない物ばっかり蓄え邪魔をする
おじさん、おばさん
勝てるわけないわな、、、、と
見習うべき姿がそこにあり!という時間でした。
役に立つ物でいっぱいならいいけど
全く役に立たない積み重ねてきた自分の偏見ばっかりが
たくさん目にも思考にもくっついて邪魔ばっかり
そんな歳の取り方してたらそりゃ
歳を重ねるごとに衰退の一方だわな、、、と
笑
そんな中
我が子の話に^^
我が子をどうやって育てたかが聞きたいんだって
それも何だかすごい視点だな、、、と
育てる時、一番何を気をつけたか?と聞かれ
ふむ〜〜〜〜〜〜?????
そんな聞かれるほどまず我が子が全くもって
立派に育ってないだけど?笑
聞いて何の参考にもなりませんが、、、汗
聞かれれば聞かれるほど恐縮っす!としか思えない
笑
でも一番気をつけたことかはわからないですが
普通の親子と違う感覚だとしたら
私は子供たちを我が子というよりは
1人の人格を持った同じ立場の人間として
見続けた感はあったかも?
なので家の中での出来事を当たり前と
何1つ思わなかったかな^^
子供だから当たり前
家族だから当たり前
という感覚は一切なく
子供でも何かしてくれたら
おおおおおおお?????
これをやってくれたのは誰?まさかの長男くん?
ありがとうね〜〜〜助かるわ〜〜〜〜とか
必ず声かけと感謝を伝えてきたかな、、、、
これが例えば1人の人格を持った人間と思わず
自分の子供!と思ってたら
やってくれたの?
「おりこうだったね」と
親が子供を褒める
「お利口だったね」
「えらかったね」
「頑張ったね」
みたいな声かけになってると思うのですが
私にはその感覚は一切なく
同じ対等な立場として
必ず「ありがとうね^^とっても助かったわ〜」と
ついつい声かけがこうなるわけです^^
これってもしかして全く違うと思うのです^^
そして1つ1つ子供が気を利かせてやってくれたことや
思いやりから行動したことなど
何1つ当たり前と思わずスルーすることなく
どんなに小さな心使いにも必ずその気持ちを察知し
まさかのこれって?次男くん?
ま〜〜〜素晴らしいね〜〜〜〜
さすが次男くんならではの心意気だね〜〜〜
ありがとう!助かったわ〜〜〜〜など
心意気を必ず察知し、しっかり思いを拾って
褒めるんではなく
感動と感謝を伝えます^^
それは今でもですね^^
そしてじゃ子供は?というと
例えばご飯を終えると
「ご馳走様!美味しかったよ!ありがとう!」の
三拍子がセットで必ずお礼を言われます^^
これは多分
私が常に対等な立場でお礼を伝えているから同じく
子供も
親がやって当たり前とはあまり思ってなく
同じ人間がご飯を自分のために作ってくれている
心とご飯作りという行動に感謝している言葉だと
思うのです^^
家の中でも家族同士でも
私は同じ人間同士が共同生活をしているわけで
1人1人にしっかり人格と人生があるわけで
その人たちが家族の中で
家の中で行っている思いやりや行動は
しっかりキャッチしお礼と感動を伝えたいと
当たり前に思っているのです^^
そして
「ごめんなさい!」も親でもしっかり子供に伝えます
「げ〜〜〜ママがやっちまったね〜〜〜
本当にごめんね!!!!!」と
しまった
やっちまった
失敗
などなど何かあれば堂々としっかり
子供にも謝ります^^
なので子供たちも
「ありがとう」と「ごめんなさい」がとっても
上手に自然に言葉から出る子供たちに^^
そんな話をし^^
こんな話が何かお役にたったのか?
でも
若い2人は「いいですね〜〜〜素敵だです!」と
感動してくれ
そっすか???・・・こんな話ですんません、、と
笑
でもこれからきっと家族を持つことになるのか?
少しでも素晴らしい子供たちを育てていってくれると
日本のためにも貢献になりますよね^^笑
結婚も子供も別に自由な時代^^
いてもいなくても
してもしなくても本当に心から自由だと思ってますが
いるならいい家庭を^^ですよね^^
我が子も人生これから^^
どうなることやら
ただ幸せ〜〜〜〜〜〜と思いながら
人生歩んで欲しいですね^^
それだけは願います^^
皆さんも!
Oneちーむ